命
私は命を大切にしているそうです
人から見るとそう見えているようです
人間以外の命のことです
自分の命と同じように考えていると
猫の命を大切にしていると
そう言われました
私は違和感を感じます
確かに私はゴキブリも殺しません
蚊も殺しません
うちの猫さんをとても大切にしています
野良猫さんたちも大切です
ですが、私としては命を大切にと思って行なっていることではないのです
よく、「世間では命を大切に」とか「命だけは」とか聞きます
そうゆうもの、そうゆうべきものとして刷り込まれて言っているような違和感を感じます
そう言っている人の、そう言っている中身が感じられないからです
私は、命を大切にして虫も殺さないわけではありません
命をどうこう言う以前に
人間以外の生き物にも、気持ちがあり、感情があり、嬉しいこと嫌なこと、色んなことを思うことがある
と思うからです
そして、人間以外の生き物にも必ず親がいます
子供に何かあったら悲しむ親がいるのは人間だけではないはずです
私は、自分がされたら嫌なことをしないだけのこと
誰かが、されたら悲しくなるようなことをしないだけのこと
命はいつかは終わります
終わり方は様々ですが
できることなら、できるだけ安泰に安らかに終わりを迎えさせてあげたいなと
全ての生き物に対してそう思います
安泰とは思えなくても、それが自然の摂理であるならば
それはそれで、良いのだと思えます
ただ、そこにいるだけで
ただ気持ち悪いと思うだけで
踏みつぶされ殺されてしまうこと
そんなこと、自分がされたら悲しいどころではありません
何も言うこともできず
ただ殺される
大抵の人は
命を大切に 命が大事
とかよくおっしゃいます
〈人間の〉が抜けていると思います
子猫が捨てられてひとりぼっちでいたら連れて帰ってきました
あんなに小さい体で
ひとりぼっちで
まだ何もわからず
誰かに一生懸命助けを求めて声を出している
そんな子を放ってはおけないから
自分がそんな状況にいたら誰かに助けてほしいと思う
誰にも見向きもされず
誰にも手を差し伸べてもらえなかったら
もう、どうしたらいいのか
悲しみしか残らない
悲しみさえも消えてしまい残るのは
ただただ、虚無。
そして、ただ、死んでいく
それも自然の摂理
その子が人間によって捨てられたのでないのであれば
だけれど、そんな状況にある子猫に出会ってしまったら
私は助ける
命を大切にしているからという理由でははなく
今、そこで、その子が助けを求めているから
ひとりぼっちで泣いているから
まだ、狩りもできずお腹を空かせているから
私がいなくなったら
その子がやっと見つけた光を
虚しく消してしまうから
自分がその子だったら
助けて欲しいと絶対思ってる
だから連れて帰る
ご飯をあげる
安心できる場所をあげる
ただ、それだけ
そして、それから先は
とっても可愛い、幸せな時間を私にくれる
命を大切に
ではなく、人間でなくとも
今、目の前にいるその子の気持ちを
思っての行動をしているだけなのです
結果、命を大切にしていると見られているのかもしれません
命を大切にしていないわけではないけれど
命はいつかはなくなるもの
儚く美しいもの
残された時間はみんなそれぞれで
どんな生き物であっても
その限りある時間を
悲しみよりも喜びでみたしてあげたい
みんなに優しくしてあげたい
いつかは終わりを迎えるその時までは